[一番辛かったいじめ]
私はいじめには何度もあったことがある。
理由はいじめっ子に聞いてみないと分からないが、
いじめの理由が明らかだった時がある。
いじめをかばったら、ターゲットが変更されたパターンだ。
内容を公開すると、当時のいじめっ子達の立場が悪くなる可能性があるので、内容は書けない。
しかし本当に辛く、消えてしまいたいとさえ思った。
中学1年生のときだった。
家は貧しく父は病気だった。
母は気が狂うくらいに忙しかった。
下に3人の兄弟がいた。
小学校の頃、同級生の軽い嫌がらせに遭ったのを親や友達に相談したら、
その同級生は大変反省したらしく、相手の保護者にもかなり謝られて、
助かったのだが、もう周りに心配をかけたくなかった。
消えたい。
でも、死んだらもっと迷惑をかける。
どうしていいかわからず、近くの公園で考えていた。
日が暮れた。
答えは出ない。
夜になった。
家に帰っても、ストレスが溜まっている両親に怒られるだけ。
勉強、家事、人間関係、家族の問題…
もう十分頑張った。
学校の先生に言われたこと、親に言われたこと、
全て守ってきた。
でも学校にいても、家にいても辛い。
私の居場所はどこにもない。
祖父のお葬式を思い出した。
祖父の家は田舎の大きな家だった。
祖父は婿養子だった。
祖母は大変明るくおしゃべりが大好きで社交的で、
お酒も好きな、いるだけでその場の雰囲気が明るくなるような人だ。
お葬式の後のお食事会で、大勢の人が豪華な夕食に舌鼓を打ちながら
祖父の思い出を語っていた。
祖母はその真ん中で、大きな口を開けて笑いながら
ビールをガブガブ飲んでいた。
おばあちゃんはあかるいひとだなぁ、と小学5年生の私は不思議に思った。
皆がそれぞれの家に帰った後、私たちは静かに床についた。
夜中。
初めて経験する大切な人の死に私は眠れずにいた。
導かれるように仏間に行った。
祖父の遺影の前で、1人声を上げて泣く祖母を見た。
祖母が泣くのを見たのは、後にも先にもこれ一度きりだった。
仏間の上の方には、祖母が幼い時に亡くなった実母や戦争で亡くなった家族が
静かに写真の中で、祖母を見つめていた。
……
私の命は私1人のものではない。
私が生まれてくるまでに何人の人がいたのだろう。
この国を平和にするために、何人の命が犠牲になっただろう。
病気や戦争で苦しむ人たちが、どれだけ生きたいと願っているだろう。
生きなきゃ。
生きて生きて、もっと苦しんでいる人を助けなきゃ。
何のために生まれた。
答えは分からない。
それでも、生きなければ。
その日から私は、「教育」の力に興味を持つようになった。